こんにちは。やなか信人です。
今日は朝からさいたまシティマラソンが開かれ、東日本大震災の被災地復興のチャリティイベントや東北各地からショップの出店があり、さいたま市あげての復興を願っての大会となりました。
一年前のあの時、私は浦和ロイヤルパインズホテル前の交差点で信号待ちをしておりました。
ビルとビルがぶつかり合うのではないか、というほどの長く、大きな揺れですべての車がストップし、その後は消防車や救急車のサイレンの音で、辺りは騒然となりました。皆さまの脳裏にも、それぞれの記憶が鮮明に焼き付いているのではないか、と思います。
阪神・淡路大震災の時は一企業に勤めており、友人の住む神戸に向かうことができずに大変悔しい思いをしました。今回、私と同じように、さいたま市内のラーメン屋さんの15名の有志の皆さんも現地に行きたいと考えていることを知り、その思いを石巻市議会議員やボランティアセンターに伝え、意を汲んでくださいました。
4月には満を持して4台の車に分乗し、石巻市の鮎川浜地区と、そこからさらに奇跡的に被災を免れたもののがれきの積み上がっている女川原発の近くの寄磯浜地区に向かいました。そして1000食分のラーメンを振舞ってまいりました。自衛隊がヘリやホーバークラフトで支援物資を輸送する中、民間の力で初めて避難をされている方々に温かいラーメンを届けられた瞬間でした。
石巻にはこの後も含めて復興のお手伝いを計5日間、させていただきました。
一方で震災後、遅々として進まない政府の対応の中、公明党は国会議員と地方議員が心を合わせ、一貫して復興に取り組んでまいりました。
例えば国会議員が全国の声を集めたところ、女性の視点からの防災対策が不十分と判断、政府に提言すると同時にさいたま市におきましても、避難所における女性用トイレや災害弱者の視点を組み込んだ地域防災計画の提案をさせていただきました。
そして市内各地域でこれまでの避難所訓練と比べ、より具体的で現場に即した避難所ごとの訓練を行うよう、提案もさせていただきました。
5月に地元の中学校で宿泊訓練、9月には浦和駒場体育館での避難所訓練の連絡が自治会の方に来ましたので、提案をするだけでなく、私自身も地域防災委員としてしっかりと訓練を受けてまいりたい、と考えております。
地域の防災力向上には、市民の皆さまが力を合わせることはもちろん大切です。それ以上に、行政が様々な検証作業によって浮き彫りになった課題を、ひとつひとつていねいに解決をしていくことが肝要ではないか、と考えております。
私はこの日を「復興の日」と決め、考えられるだけの知恵を絞って取り組んでまいりたい、と考えております。